第20話 《from ラブイズ》20

病院というところは当然の事ながら、
『本人の病気を治すところ』
であって、
『家族を助ける場所』
ではない。
そこに気が付かないと病院にはイライラしっぱなしになる。

病院はまず
『患者ありき、その家族』
という考えであり、
私にとっては
『妻が精神病であって子供がいる、それを母親に見てもらっている、家族』
という意識なのである。

そこを踏まえて話しをしないと病院側との会話は噛み合いづらくなる。
結局、家族を守るのは自分なのだ。
そして
問題は一つに絞る。
『これからの人生をどう幸せに過ごして行くか?』
これが命題となる。

そこから、色々と枝葉を考えるようにする。
百年後の今日は何をしている?
多分、みんな死んでいるだろう。
だから、今をどう生きるかが大切なんだ。
今日を
・幸せと思うか?
・不幸せと思うか?

せっかく生きるのであれば幸せに生きたい。
じゃあ、何を持って『幸せ』とするか?
それは自分の心が『幸せ』と思うか、思わないかの差だろう。
『自分が幸せと思えはいい。』

だけど、そんなことで幸せになれるのなら簡単なことだ。

じゃあどうする?
『満たされること』が幸せだろうか?
満たす?心を?
…どうやって?

一つは感謝する事だろう。
キキョウがいるから頑張れる。
夜にアイハの寝顔を見て愛情を確認する。
…家族のため?

いや、
『―自分が幸せになりたいが為に。』

結局人間なんてものは自分のわがままの為に生きている。
《こんなに私は頑張っている!》
…なんて自分勝手で恥ずかしい。

『家族のため』
と大義名分を創って、それを糧にしているに過ぎない。
全ては《自分の為》なのだ。
家族を幸せにしたいと思うのは自分。

妻の病気を治したいのは自分。
《あんなにしてやったのに》は自分が勝手にやった事。

《なんで自分ばかり》
違う。みんな。

多かれ少なかれ、みんな何かしら悩みは持っている。
その大小は比べるものではなく、悩みの大きさは個人にしかわからない。

今日の晩御飯の献立に死ぬ程苦しんで悩む主婦がいれば、
ひとかけらのパンに感動して感謝する子供もいるだろう。
『心の持ちようで幸せにも不幸せにもなる』ことに気が付いた。

from ラブイズ

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