第88話 《キキョウ》3

「おじいちゃんとの話はなんだったの?」

家に帰るとアイハが屈託のない笑顔で聞いてきた。

彼女は博士のことを親しみを込めて『おじいちゃん』と呼ぶ。

「…ああ、なんだかね、パパ、難しい検査が必要かも知れないって…」

「ふぅん」

そう言ったきり、アイハは何か考えている様子だった。

「あのさ、ママ。
ママはパパにどうなってほしいの?」

「え!?それは元気になってもらいたいわ」

「アイハからみたらパパ元気だよ」

「いや…パパはちょっとだけ心が病気なのよ」

「そうなの?ふぅん…ちょっとパパにお電話してみる!」

「え!?あ!ちょ、ちょっと待っ…」

言い終わらない内にアイハは電話の短縮ボタンから彼に電話を掛けていた。

「あ!パパー!元気?うん、アイハも元気だよ!あのねパパ、なんで『むつかしいけんさ』するの?
…うん…うん、ふぅん、そっか!わかった!あ、うん、ママにかわるね!」

「はいママ!パパ」

なんという手早さ!時に感心するほどアイハは真っ直ぐに生きている。

恐る恐る電話に代わると、彼は落ち着いていたのか優しい口調だった。

ああ、良かった。

タイミングによっては不機嫌な罵声が容赦なく降りかかるからだ。

メール一つ気を遣いながらではないと今は打つことが出来ない。

「…キキョウ。しばらくだね」

「ラブイズ…あなた…調子はどう?」

「…だるい…けど気分はまぁまぁだよ。少し横になっていたんだ」

「ごめんなさい…休んでいるところ…」

「いいんだ。ところでアイハの話だけど…」

「気を悪くさせてごめんなさい!つい口を滑らせてしまったの!子供に聞かせる話じゃないってわかってるわ!ラブイズ…」

「いや、いいんだ。
サイトウから…話を聞いたんだね」

「そう…私…あなたが心配で…」

「大丈夫だよ。気にするなという方が無理かも知れないけど、大丈夫だ。
私は思うんだ…
この現実と夢の狭間にいるような状態に決着を着けたいんだって…

それにあれは私が作ったマシンだ。
良いところも悪いところも熟知しているよ。
これでも一応まだ職員でもあるからね。
仕事の締めくくりでもある…
だから…私はやるよ。キキョウ…」

「ラブイズ…ごめんなさい…私があの時育児ノイローゼになんてなったから…」

「…もういいんだ。
またその話はよしてくれ!
…じゃあまた連絡するよ。
…もう今日は疲れたんだ…」

「急にごめんなさいラブイズ…」

「いいんだ…じゃあまた」

「ごめんなさいラブイズ…またね…」

受話器を置くと待ち構えたようにアイハが話し掛けてきた。

「ママ!パパね、元気になるためらしいよ!」

…まだ手が震えている。
私は彼を愛しているのかわからない。
けれど、どうしても気になってしまう。
心配になってしまう。
友人は『共依存』だと言うけれども、私はそれがわからない。
早く離婚するようにみんな言ってくる。
けれど現実、経済的な状況もありそれも難しい。
何よりアイハの為に離婚はしたくない。
離婚してもそういう家族の形があるのもわかる。
けれど私はそれをしたくない。
あの頃の彼の笑顔がまた見れるかも知れないという一縷の望みを捨てきれていない。
「ママ!聞いてるッ?!」

びくっとしてアイハを見ると膨れ顔をして怒っている。

「ママ、パパと話してるといつもあやまってるよね。きっとパパも困ってるよ」

…この子は彼に愛されているから気付かないだけだ。

それでも具合が悪いと露骨に不機嫌な顔でアイハを遠ざけることはあった…
「また考えてるッ!ほら、いっしょに公園に行こう!アイハ、なわとびのれんしゅうしなくちゃいけないんだ」

こうやって毎日アイハのマイペースに振り回されながら過ぎていく日々は正直有難いと思う。
「ママ行くよー!」

すでに玄関で靴を履いてしまっているアイハを、薄手のストールだけを持って急いで追い掛けた。

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