第89話 《キキョウ》4

公園で縄跳び二重飛びの練習をするアイハを眺めながら、今までの生活を振り返っていた。

今回の治療で彼は本当に治るのだろうか…?

私は正直何をしても無駄だと思っている。

最近はまた彼と別居を始めたのでそれなりには落ち着いているし、ひょっとしたらこのままの生活が一番いいのかも知れない。

幸い彼は博士の好意もあり、研究対象の被験者で障害者枠の臨時職員として働いてもいるので収入も入れてくれる。

…私も保育士として働いているから、とりあえず食べるに困ることはないし。

…彼の収入は激減したけれども、前は貰いすぎだとも思っていたし。

…私はただ家族3人で幸せに暮らしたいだけだし

…………………!

その私が望む生活に彼の姿があることに、唐突に気が付いた。

そうか、私は彼とアイハと幸せに暮らしたいんだ…

そう思ったらすぅっと涙が溢れ落ちた。

この光景を眺める隣に彼はいない。

私は彼とこの光景を一緒に眺めたいんだ…

そっか…

そうだったんだ私…

「あなたはどうしたいの!?」と何度も周りの人達から問われ続けていた。

私は今までそんなことを考える余裕すら無かった。

彼との生活は毎日が戦争のような日々だったから…

今彼が離れ、家族で住むはずだった家に彼が居ないという現実が、なんだか心にぽっかり穴が空いたような、そんな空虚感があり…

…そして、本心では安堵感に包まれている。

そんな複雑な心境だった。

こんな穏やかな時間は、私には無かったように思える…

アイハは顔を真っ赤にしながら一生懸命に縄跳びに苦戦している。

「そっか…」

アイハは疲れたのかその場に座り込んでいた。

肩でハァハァと息をしている。

「アイハ、貸してごらん」

「あ、ハァハァ、ママ、ハァハァ、ハイ!」

アイハから縄跳びを受け取ると、私は連続でX飛びを披露した。

「なにそれママすごいッ!」

瞳をキラキラさせながらアイハはこちらに釘付けになっている。

「ふふん。練習してごらん」

ハイと縄跳びを渡すと「こうかな?こうかな?」とぶつぶつ呟きながらX飛びの練習をし始める。

そのうち縄がこんがらがってアイハの身体を不自由にした。

「ママー」

泣きそうになりながら私に懇願の目を向けるアイハに近付き、縄をほどこうとするが、がんじ絡めになった縄はなかなかほどけない。

「あ!ちがう!足から、足からッ!」

「え〜ちょっと待って〜」

「あ〜もう!はやくとってよぉ〜!」

「アイハ、いっこいっこだよ。いっこいっこ取ってあげるから…あ!」

「なに!どうしたのママ!血でた!?血でた!?」

がんじ絡めになった心の糸も一つ一つほどいていけば、何とかなるのかも知れないー

彼の心を締め付ける糸はとても固く複雑に結びついている。

だけど、一つ一つほどいていけば、必ずいつかほどけるはずだ。

難しく考えれば考える程、心の糸は絡まり、がんじ絡めに心を締め付けてしまう。

私は家族でこの光景を眺めたいだけだ。

彼とー

彼と一緒に。

目の前の固結びになっている縄を見ながら、私はそう心に決めた。

「ママー!なにしてるのッ!血ぃでたのー!?」

もがきながらアイハはようやく片足を脱した。

「もーだいじょぶじゃーん!びっくりさせないでよママー」

「あ…ああごめんねアイハ。こっちも取ろうね」

「早くしてよ!もう日がくれちゃう!」

「ごめんごめん」

ようやく縄がほどけると辺りは薄暗くなり始めていた。

「あ〜おなかへった!かえろ!ママ。今日のごっはんはなんだろなー!」

自由だ。

アイハの心は自由に
天真爛漫に育っている。

毎日振り回されながらも縛られない心を私に見せてくれるアイハに私は救われている。

いつか博士が言った、ラブイズの心を9才から解放させるとはこういうことなんだろうか?

だとしたら、私には出来るかも知れない。

『心を解放させる』というよりは、幼い子供の気持ちについては保育士として生きてきた自負があるから。

彼とのこと…
もう一度よく考えてみよう。

「ねぇママ!今日のごはんはなに!?」

「今日はね…うーん…アイハは何が食べたい?」

「グラタン!」

「またグラタン〜?」

「だってアイハすっきなんだもーん!」

「一昨日作ったばっかりじゃない」

「グラタン食べたいグラタン食べたいグラタン食べたい」

「じゃあ…グラタンにしよっか!」

「やったぁ!ママ大すきぃ!」

「…その代わり、明日は野菜炒めだからね!」

「な〜」

「野菜食べないと大きくなれないでしょ」

「ぁ゛〜」

そしてその夜のうちに、博士と会う連絡をした。

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