第99話 《キキョウ》14

帰りの車の中、アイハは彼と時計を直してくれる指切りげんまんをしていた。
「パパ!約束やぶったら針3本だからね!」
「わかったわかった」
苦笑いを浮かべながら彼はアイハに笑顔を向けている。

「あ!ママー!今日のばんごはんなにー!?」

「うん。今日はアイハの好きなグラタンよー」

「やったぁ!パパグラタンだって!パパもグラタン大すきでしょう!?」

「ああ、大好きだけど、少し遅くなったら外食でもしようか?」

「大丈夫。仕込みはもう済んでるから。たまの家族3人じゃない。あなたも忙しいんだし、お家でゆっくりしましょう」

「…キキョウ…有難う…」

彼からの『有難う』がこんなに身に染みる…

心が少し温かくなってなんだかほんわかする。

そんな一言で私は嬉しくなってくる。

「あなたの好きなワインも用意したの!」

「ああ…ごめん…アルコールは今はだめなんだ…」

「あらそうなの!?ごめんなさい気付かなくて…」

「いや、いいんだ。言ってなかったから…」

「じゃあさ!パパ一緒にオレンジジュースにしよう!」

「ああオレンジジュースにしようか」

「ママも!ママもいっしょ!」

「あーじゃあママもオレンジジュース付き合うか!」

「やったぁ!オ・オ・オ・オレンジジュースゥグ・グ・グ・グラグラタンタン!オ・オ・オ…」
アイハのオリジナルソングが車の中に響き渡る。

帰宅してすぐに晩御飯に取り掛かる。
アイハは彼に付きっきりで学校の係のことや、嫌がらせをしてくる男の子の話をしている。
ちょっぴり本気で「それはその男の子がいかん!」と怒っている彼が微笑ましい。

「グラタンが焼けるまで少し時間が掛かるから、その間に二人でお風呂に入ってきなさいー」

「あ!はーい!パパいこッ!それでねぇ…」
「うんうん…」
少しすると浴室から二人の楽しそうな声が聞こえてきた。

料理の下ごしらえが一段落し、ソファに腰を下ろす。
浴室からはアイハの矯声と彼の笑い声が聞こえる。
ふと視線を落とすとテーブルの小さな箱の中にアイハの壊れた時計が丁寧に納められていた。

時が止まったままの時計…

私じゃなくて彼に直して欲しかった。
今日じゃなくてきちんと帰ってきてから直して欲しかった。

なんだか今日という日が幻のような気がして…

約束があれば、
少しでも彼が覚えてくれていれば…

ほんの些細なきっかけでも彼が戻って来てくれる理由が欲しかった…

「あーきもちよかった!ママも入りなよー!」

頭からバスタオルを巻き、アイハがお風呂から上がってきた。

「あらパパは?」
「もうすぐ上がるってー」
「そう。そういえばパパのバスタオル場所わかるかしら?」
一人言のように呟きながら浴室に行った。

磨りガラス越しに彼に話し掛けた。

「バスタオルここに置いとくからね〜」

返事がない。

心臓がドキドキ音を立ててどんどん大きく鳴り響いていく…

…うまく…呼吸が出来ない…

…また彼は不安定になっているんじゃないだろうか…

私は大きく深呼吸を一つして、そっと浴室の扉を開けて中を覗き見た。

そこには…

…そこには湯船で項垂れている彼の姿があった。

「ラブイズ…?」

「あ…あぁどうしたんだい?キキョウ」

「ごめんなさい。呼んでも返事がなかったから…」

「あぁ…ごめんよ…ちょっと考え事をしていたんだ…」

「ううん、私の方こそごめんなさい」

「いや…いいんだ…どうかしたのかい?」

「あ、バスタオルね、ここに置いとくから…」

「あぁ有難う。私ももう上がるよ」

そう言って立ち上がった彼の身体は見事に引き締まっていた。

「…あぁ、ずいぶんと痩せただろう?薬を飲まないとどうも食欲もわかなくてね。でもずいぶん身体も軽くなったんだよ」

確かに引き締まってはいた。
けれども、そういえば顔もずいぶん痩けてしまっていた様子に感じた。
ひょっとしたら彼も無理をしていたのかも知れない…

「…いつまで見ているんだよ…恥ずかしいだろう?」
「あぁ!ごめんなさい!」
ハハハと彼は笑いながら浴室を後にした。

「ママーごはんまだー!?」

「あ!今すぐ用意するねー!」

「パパ!パパのためにオレンジジュースよういしといたよ!」

「お!気が利くなぁアイハ。有難う」

「いやいやいやいや」

「ごめんね〜さぁ皆でご飯食べよう!」

「わーい!」

「おぉ美味そうだな」

「ここ大きいからあげはパパにあげる。アイハとってあげる」

「お!有難うアイハ」

「ママもはい!」

「あら有難う。どう?ラブイズ美味しい?」

「あぁ美味いなぁ。相変わらず君は料理が上手だな」

「良かったぁ!」

「ママのグラタンってホントにまほうみたいにおいしいよ!」

「そうかなぁ?でも嬉しいなぁ」

「アイハも作れるようになるといいな。パパに食べさせておくれよ」

「うんわかった!パパのためにグラタン作れるようになっとくね!」

「おお、約束だぞ」

「うんまたやくそく!ゆびきりしよう!」

そうやって楽しい時間は過ぎていった。

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