第105話 《キキョウ》20

学校からの帰り道、彼と二人で歩いた。

いつもと同じはずの景色は、その色と輪郭をはっきり縁取り、彩り豊かに感じた。

「…ねぇラブイズ」

「ん?なんだい?」

「私、あなたや博士がしようとしている実験は正直よくわからない。
だけど、心は脳だけではなくて、全身で感じるものだと私思うんだ」

「ほぅ…それは面白い考察だね」

「考察とかじゃなくて…もう!ちゃかさないでよ」

「茶化してなんかいないよ。それで?」

「…うん…私はあなたといる時に身体全身であなたを感じるの。それは脳が考えてとかじゃなくて、例えば触って気持ちいいな〜とか、落ち着くな〜とか、いい匂いだな〜とか、なんか胸いっぱいになったりする」

「ほぅほぅそれで?」

「ん…と、だからなんか上手く言えないけど、私達のこと、忘れないでほしい」

「ん?うん、忘れないよ?どうしたんだい?一体」

「うん…あなたが機械に入るって聞いてから、ずっと考えていたんだ…私、心って脳で感じるものじゃないと思うの。素人の意見で申し訳ないけど、そういうものじゃないと思うんだ」

「いや…なかなか興味深い考えだね」

「だからそういうのじゃなくて!脳だけの治療じゃ心は難しいと思うの…だって気持ちってそういうものじゃないでしょう?心は考えるとかじゃなくて感じるものだと思うの。だから、だから私やアイハと一緒にいた時間や気持ちを忘れないでねって…」

「…あぁ…そうか…そうかも知れないな…」

彼は何だか神妙な面持ちになり、空を見上げ口をつぐんだ。
それを見て私は何も言えなくなってしまった。
そうしている内に、段々と家に近付いてくる。

「キキョウ」

「なぁにラブイズ」

「色々…有難う」

うっすらと涙が浮かべながら真っ直ぐにこちらを向いて彼はそう言ってくれた。

「この二日間で私も沢山の事を学んだ。私も君やアイハと一緒に居たいと思った。いや、感じた。私の気持ちがそう感じたんだ。だから…だから待っていてくれるかい…?」

「ラブイズ…」

私は彼の頭をそっと抱いて胸に寄せた。

「ゥ…クッ…」
彼は苦しそうに我慢しながら泣いた。

登校中の子供達や通勤途中の人達が私達を見て通り過ぎていく。

彼は奥歯をギリギリと噛み締めながら必死に心の葛藤に耐えている。

彼の悲しみを二人では半分に分かち合いたいと思った時期が私にもあった。

けれど、彼の悲しみや苦しみを代わることは出来ない。

でも私はその両腕で彼を抱き締めることが出来る。

今はそれでいいと思う。
それがいいんだと思う。

悲しみは分けることは出来ない。
けれど包むことは出来る。

身体で悲しみを包めば、心も包まれるんだと思う。

それは母性にも近いのかも知れない。

子供が泣いた時に言い聞かせるよりも抱き締めてあげることがいいと思う感じに近いのかも知れない。

そうしたらいつもアイハは泣き止んだから。

子供が大人になったのが大人だと思う。

だから、出来ないことがあったっていいと思う。

「…おうちに帰ろ?」

今にも崩れ落ちそうな、涙でボロボロになった彼を支えて家に入る。

ソファに座らせてハンカチで顔を拭く。

顔から滴り落ちるあらゆる液体を拭う気力を失った彼を何度見ただろうか。

スイッチの切れたロボットのようにその姿勢のまま彼は何時間も動かなくなる。

その後、彼は疲れてしまうのか横に倒れ眠ってしまう。

私はじっと彼の横に居る。

ただそばに居る。
最初は辛かった。
何が何だかわからなかった。

今は何となくそばにいる。

動きたくなったら、ゆっくりとやんわりと行動し、なるべく大きな音を出さないようにして、ただ隣でくっついている。

以前話し合った時に彼がそうして欲しいと言ったから。

そうして何時間かしたら、彼はスイッチが入ったように目覚めるのだ。
その時の彼はいつもひどく冷静になっており、いつも自分の感情や行動を分析している。
そんなことをぼんやり思い出していたら彼がドサッとソファの上で横に倒れた。

私は寝室から薄手のタオルケットを持ってきて彼に掛ける。

今日は休みを取ってある。
というかだいたいこうなるので休まざるを得なくなる。
「10年か…」
彼の隣に座りながら、これまでの生活を振り返った。
たくさん辛いことがあった。
耐え切れないこともあった。
なんで私ばかりと泣き尽くした日々もあった。
生きる意味がわからなくもなった。
たくさんの辛いことがあった。

だけど、
だからこそ、たくさんの幸せに気付くことが出来た。
ムリヤリに小さな幸せに気付く努力をしたわけじゃない。

そうじゃなくて、何も考えないで生きてきた私に、ラブイズやアイハはたくさんの色を与えてくれた。

悲しみの青は青だけじゃなくて、群青色や青紫や真っ黒に近い色なんかがあった。

喜びのピンクは薄ピンクだけじゃなくて、太陽のように輝いた色や真っ赤に燃えるように情熱的な色があった。

たくさんの、たくさんの色を私の人生に与えてくれた。
私も彼やアイハにどんな色を見せてあげられるだろうか。
これからも家族でたくさんの色を紡いでいきたい…

喜びも悲しみも
憤りや憂いも
驚きや悩みも
恐怖すらも

すべて
すべて家族で感じたい。

それはきっと私のわがままなんだと思う。
この世界に生まれて、大好きな人達と人生を歩みたいんだ。
たくさんの気持ちを抱えて、それでも輝いて生きていきたいんだ。
私はもう迷わない。

私の人生には彼が必要なんだ。
どれが正しい人生なんてわからない。

わからないからこそ、信じた道を進みたい。

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