第113話 《キキョウ》28

彼は「君の父親に会いに行こう」と言ってくれた。

二人とも、まだ学生ではあったけれども産んで育てること以外に考えは無かった。

これでやっと本当の家族になれると思った。

そして彼と私の父親に会いに行った。

電話で会いに行くことを伝えた時に、父は一言「わかった」と言ってくれた。

二人で父に会いに行くことを決めてから、ずっと彼は緊張をしていた。

お土産は二人で選んだブランデーにした。

そして彼は一生懸命日本語を覚えていた。

そしてその日が来た。

彼はかっちりとスーツを着込み、私が父が住んでいたアパートの前でカチンコチンになっていた。

ピンポン
とチャイムを鳴らすと奥からドシン、ドシンと足音が聞こえた。

彼はいよいよ真っ青になりながら、持ち手がしわしわになったブランデーの袋を固く握り締めていた。

ガチャリ…

ドアが開くといつもの父親がそこにいた。

無愛想で
大柄で
大工で鍛えたがっちりした太い腕が、ドアノブを握って私と彼をゆっくりと交互に見据えていた。

彼が今度は顔を真っ赤にしながら何かを言おうとした途端、バゴン!とすごい音がして、目の前から彼が居なくなった。

父は彼を殴り飛ばしていた。

顔はいつもの仏頂面だった。

「なんてことするのッ!」
私は叫びながら彼に駆け寄ると、彼は鼻血と涙ををダラダラ流しながら、ふらふらと父に近付き、深々と頭を下げて片言の日本語で言った。

「ムスメサンヲクダサイ」

しばらく父と彼は黙っていたけど、私は彼のケガが気になってハンカチで彼の鼻をずっと押さえていた。

「ムスメサンヲクダサイ!」
「ムスメサンヲクダサイ!」
「ムスメサンヲクダサイ!」

ずっと頭を下げたまま、彼は震えながら言い続けた。

その内父が「上がれ」と言って家に上がった。

鼻と口の血が止まらないのを心配して、私はティッシュを彼に預けて家の中でタオルを探しに行った。

昔から喧嘩早かった父に心から憎しみが湧いた。

すぐにでも彼と帰ろう!そう思っていると、
「ア―――ゥチッ!」
と声が響いた。
彼と父のいる部屋からだ。

彼にまた何かあったのかと思い、急いで部屋に入ると何だか彼は苦笑いを浮かべていた。

父が酒を注いだらしい。
そして彼はそれを飲んだようだ。

傷痕にお酒が染みるのは当然だと思った。

そして、なんだか不思議と照れている彼と、いつもと変わらない父親が寡黙にお酒を彼に注いでいた。

彼はそれをニヤニヤしながら黙って飲んで、染みて痛がっている。
彼をじっと見つめる父が、なんだかいつもと違う父親のような気がして、私も力が抜けてしまった。

「何をやっているの…もう…」
と私が言うと、父は静かに重い声で「座れ」と言った。

私がふてくされながら彼の隣に座ると、父は私にも日本酒を注いだ。

「妊婦だから飲めない」というと、父は黙って自分のコップに酒を注ぎ、飲み干した。

「なんで彼に暴力振るったの!」

そう聞くと父は一言「順番が違う」と言った。

いつもそうだった。

私のことで何かある度に父は周りの人に暴力を振るった。

確かに順番は違ったけれども私ももう大人だ。

父が彼を殴り飛ばすのはやりすぎだと思う。

そう伝えると父は「母さんに申し訳が立たん」と言った。

私の母は私が生まれてすぐに亡くなった。

元々身体が弱かったようだけど、父はあまり話してくれなかった。

私が留学する時に、父は一枚の手紙をくれた。

生まれたばかりの私に宛てた母からの手紙だった。

そこには、身体が弱かった母から、強く、優しく育つようにと願いが込められていた。

ろくな親戚付き合いも無く、一人で私を育ててくれた父は、私が何か悪さをする度に「母さんに申し訳が立たん」と言って私を叱った。

父は不器用な人間だった。

だけど、私を愛してくれていたのだと思う。

お酒を彼に注ぎ、自分に注ぎ、黙って飲むその目には涙が滲んでいた。

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