第149話 《キキョウ》35

ある日、若い男性の民生委員が私の元にやって来た。

その民生委員は私に一枚の手紙を渡すと、ヤスダタミコが入院したことを告げ、ただ一言「会いに言って欲しい」と言って帰っていった。

私は渡された手紙をぐしゃぐしゃに丸めてその場に捨てた。

次の日もまた次の日も、ベンチの下に捨てられた手紙がそこにあった。

3日目に私はそのよれよれになった手紙をなんとなく開いて読んでみた。

『拝啓 葉内桔梗様

夏も終わりに近付き、段々と秋寒い日が顔を出してまいりました。いかがお過ごしでしょうか。

私は今、病院でこの手紙をしたためております。少し体調を崩してしまいました。元から身体は強くなかったのであなたのせいではありません。
桔梗さん、私はあなたにたくさん嫌な思いをさせてしまったのではないかと思い、今回筆を取らせていただきました。

ごめんなさい。あなたの気持ちを考えていたつもりでも、どうしても空回りしていた自分には気付いていました。だけど、私にはああすることしか出来ませんでした。それであなたが嫌な思いをしたなら、本当にごめんなさい。

私にはあなたと同い年の娘がいました。
娘はこの世にもういません。
彼女は自らの命を、あなたと同い年の時に絶ちました。
それから私はしばらくあなたと同じように、毎日大通公園に通い、ただ人を見つめて毎日を過ごしました。
娘がいた家にいることが辛かったからです。そして家のそばでは娘との思い出があり過ぎて辛かったからです。
私はあなたに私と娘の姿を重ねてしまいました。
ごめんなさい。民生委員失格ですね。

ただ、あなたの隣にいることが出来て、私は居心地が良かった。
あなたの横顔が娘と重なって、私の悲しみは癒されていきました。
そして、もう20年以上前のことなのに、私は悲しみから癒えていなかったことに気が付きました。

私はあなたがいてくれて良かった。
私の人生にはあなたが必要だったの。だから一言御伝えしたくてこの手紙を綴りました。

ありがとう

あなたがいてくれて、本当にありがとう。

私はもう満足して娘のところに行くことが出来ます。
この世を去り行く私から、最後のお願いなんだけど、あなたには生きて欲しい。
あなたが生きる今日は、誰かが生きたくても生きることが出来なかった今日なの。
不躾で、急なお願いで、本当にごめんなさい。ただの私のわがままだとわかっています。そして私の生きた証をあなたに認めてもらいたいのだと思います。
本当にごめんなさい。

それでも私はあなたに生きてもらいたい。
そして、この世界は喜びに溢れていることに気付いてもらいたい。
今私は死を目の前にして思うの。
辛かった思い出も、楽しかった思い出も、どっちも大切な思い出だったなぁって。
こんな一方的なお手紙でごめんなさい。
ただ、あなたが存在してくれて良かった人間がここにいること、そして生きることの素晴らしさを伝えたかっただけです。

あなたにはまだ、たくさんのやるべきことがあります。
まずはそれを見付けてください。
下にフリースクールの住所と連絡先を書いておきます。

どうかあなたの力になりますように。
そしてあなたがその素晴らしい人生を歩む一歩になりますように。
これからのあなたの人生がたくさんの良いことに溢れますように。
       かしこ
     安田多美子』

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