第159話 《キキョウ》45

昼はさなぎのようにうずくまり、夜にアイハのメールに気丈な母としてのメールを返す日々が続いた。

みるみるうちに家は汚れていった。

食べるものはデリバリーで済ませ、極力外に出ることはなくしていった。

ただ一日の終わりにアイハにメールを返す。

そしてその後に自堕落な自分と家族を許せない自分の板挟みに苦しむ。

お金は充分にあった。

彼がマシンに入るときに見もしなかった分厚い書類の中に、検体中の彼の不在による私達の生活が保証される一文が博士からのはからいにより記載されており、知らないうちに彼の口座への入金があった。

それに気付かなかった私は、まるまる7年は楽に生活出来るだけのお金が彼の口座にあることを、彼が目覚めてから博士から聞いていた。

時折、博士からの連絡が来た。

その度に私は博士に私の思いをぶつけていた。

博士はただ私の話を聞いてくれた。
時には夜中に博士を呼び出して延々と私の悩みを聞いてもらった。

そして博士を罵倒し、それに気付いた時に泣きながら謝り続けた。

博士はただ私の話を聞いてくれた。

そんな生活の中で、博士はただ私達を苦しめる為に私達に近付いているのではないかと思うようになった。

あの手この手で博士の心の内を探った。

時には身体目当てなんじゃないかと抱き付いてみたり、
時には博士が怒りの感情を表すように罵倒し続けた。

博士はいつも私を悲しそうに見詰めるだけだった。

ある時から私は博士に懇願するようになった。

「私をあの機械に入れて欲しい」と。

それはたくさんの最もらしい理由を付けたが、一番の理由は“この世界に居たくない”ということだった。

博士は固辞し続けた。

そして博士からたくさんの話を聞き出した。

元々博士の研究はラブイズの母親の為だったこと。
ラブイズの母親マリーとは幼なじみだったこと。
ずっとマリーが好きだったこと。
今でもマリーが好きだということ。
マリーが行きずりの男との間にラブイズを宿したこと。
ラブイズの父親になろうと決心したこと。
陰ながらマリーとラブイズを支えてきたこと。
ラブイズとの出会いをわざとに仕組んだこと。
ラブイズの幸せがマリーの幸せに繋がることを信じていること。

そこまで聞いて私は気付いた。

いや気が付いてしまった。

この人はマリーとラブイズが幸せになる為に私が必要なのだと言うことに。

そしてやはり私のことなんかは誰も愛していないんだと言うことに。

それを指摘すると博士は明らかに動揺した姿を見せたが、口では私の心配をしていると言った。

違う。
本当に心配ならば、私のことをもっと考えてくれるはずだ。

博士の口からはマリーとラブイズの話しか出てこなかった。

違う。

この人は偽善だ。

私には偽善だ。

もう許さない。
許さない。
許さない。
許さない。
許さない。
許さない。
許さない。
許さない。
許さない。
許さない。
許さない。

「わかった!キキョウ、君のいう通りだ。私はマリーとラブイズが大切だ。そしてそれに関わる君が大切なんだよ」

認めるんだ。
私より大切なものがあることを。

許さない。
許さない。
許さない。
許さない。
許さない。
許さない。
許さない。

「…どうすれば許してくれるんだい…」

ようやく引き出した言葉。
それは私に許される為の博士から引き出されたカードだ。

「…何でも私の言うことを聞いて…私を一番に考えて…」

「いや…それは…」

「出来ないっていうのッ!!
口ばかりの嘘吐き!
嘘吐き!
嘘吐き!
嘘吐き!
誰も私なんか見てくれない!
私なんか必要無い!
もう死ぬ!
おまえのせいで私は死ぬ!
おまえのせいだ!
おまえのせいだ!
全部おまえのせいだ!」

いつからか博士は泣いていた。
流れる涙と鼻水が入り雑じった液体がボトボトと落ちていた。

「………………

…私は
…いつもこうなんだ…

誰かを助けたくても皆不幸になる…
そして私は責められる…
マリーにも…
君にも…

私が居ることで皆不幸になるのか…

私は…
私は何の為に今まで生きてきたのか…

マリーを救いたい…
ラブイズを救いたい…
キキョウを救いたい…

そう思っても、そんな力は無いから…

ただ出来ることをしたかった…

自分の力で少しでも幸せを感じて欲しかった…

ただそれだけなのに…
ただそれだけなのに…

いつも私は失敗する…

いつもマリーに怒られる…

私が悪いから…
私が悪いから…」

博士の目は虚ろになり、ただただ自らを否定し続けた。

私は胸がすぅっと晴れるのを感じて笑い出した。

「アハハハハハ!アハハハハハ!アハハハハハ…もう死ねばいいんじゃない?私と死のう?それなら許してあげる。私と死んでくれたら信じてあげる!」

人は狂気を孕むとなんでこんなに残酷になれるのだろうか?

もう一人の冷静な私がただ客観的にその場を見つめていた。

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