第199話 《アイハ》49

私の誕生日が過ぎてから、おばあちゃんが目に見えて変わってきた。

まず、私の顔を見付けると「ぁ…ぁ…」と声を発するようになった。

なんとなく顔が上気している感じがして、なんとなくいつも嬉しそうな感じがした。

その事をおじいちゃんに知らせると、とても嬉しそうな顔をして「マリーにとってアイハが一番の元気の素だな」と笑ってくれた。

それからおじいちゃんも今まで以上に会いに来るようになった。

———————–
ある日のこと

庭でおばあちゃんとお散歩をしていると、おじいちゃんが向こうから手を振って歩いてきた。

「…ケン…ジロ…」

「は?おばあちゃん…なんて…?」

「どうしたんだい?アイハ?」

「今…多分“ケンジロウ”って言った…おじいちゃんの名前だよね…?」

「…ッ!
マリー!?確かにマリーが言ったのかアイハ!?」

「うん…多分…」

「マリー!?私がわかるのかいッ!?マリー!?」

「…」

おばあちゃんはいつも通り前を向いて無表情な顔をしていた。

「マリー…マリー…」

おじいちゃんはおばあちゃんの両手を握りながら、しばらくその場で泣いていた…

それから、おじいちゃんは更におばあちゃんのところに頻繁に来るようになった。

ジニアスから、そのせいでママの為のマシンの構築に遅れが生じるとは聞いていた。

けれども、パパは何も言わなかった。

ある日、倉庫に行くとパパの怒鳴り声が聞こえた。

「何度言ったらわかるんだジニアスッ!!」

「…お言葉ですがお義父さん、サイトウ博士の怠慢は度が過ぎると思います。博士がおばあちゃんのところへ行く度に僕らの進行は足止めを食らう。それでは間に合わないかも知れないんですよ!」

「そうじゃない…そうじゃないんだジニアス…!
『手段が目的になってはいけない』といつも言っているだろう!」

「…でもですよ!?仕事はきっちりこなしてもらわないと、お義母さんはいつどうなるかわからないじゃないですかッ!」

「そんなことは百も承知だ!!
だからと言って、父さんと母さんを離すことはダメだ!」

「離す訳じゃないですよ!前ぐらいの頻度会ってもらって、仕事に支障をきたさないでもらいたいだけです!」

ジニアスはパパの目を真っ直ぐ見てそう言った。

パパは少し目を伏せながら、「…なぜわからないんだ…」と呟いた。

「わからない!?僕がですかッ!?僕がどれだけの想いでこの仕事に取り組んでいるのか知っているでしょうッ!?」

「まーまーまー」

「…アイハ!」

「…アイハ…」

「どうしたのさ二人とも。熱くならないで話し合おうよ」

「いや…前も話したろ…?博士がおばあちゃんのところへ行くから、こっちの作業に遅れが生じているんだ…」

「そう…パパは?なんでジニアスを怒鳴ったの?」

「…

…ジニアス…聞いてくれ…我々はなぜここでマシンを作っているんだ?」

「それはお義母さんを救う為ですよ」

「ジニアス…こんなことを言うのもなんだが、君はキキョウに会ったこともない。なぜそんな君がキキョウを救いたいんだ?」

「わかっているでしょう…ただ、今はアイハの為だけではありません。
お義父さん、博士、テムズさんのことや、誰かの為という訳ばかりでなく、僕自身もこの仕事を通じてたくさん成長することが出来たからです。

僕は今、この仕事に誇りを持って取り組んでいるんです。それの何がいけないんですか?」

「いや…それはいいんだ…ジニアス…君が思う“真実の愛”とはなんだ」

「アイハです」

ジニアスは真顔で即答した。

「…ありがとう。アイハをそんなに大切にしてくれて…

ただジニアス、前にも伝えたが、我々のこの研究のファミリーとして目的は“真実の愛”を追究する為だ。

君がアイハを想う気持ちは確かに“真実の愛”だと私も思う。

ただ私は更に思う。

“愛”には段階があるのではないか?と」

「段階…ですか…」

「うむ、まずは“自己愛”これは原始の愛だ。

全てはここから始まる。自らの愛を満たす為に人は行動する。

次が“性愛”だ。

性差のあるなしに関わらず、他人を好きになる。そこから発生する愛だ。

相手が愛で満たされると自分も満たされる。

ただこれは人が限定される。結局はエゴ、いわゆる自己愛から派生したものに過ぎない。

そこの次の段階が“種族愛”、“人類愛”と言われるものだ。種族やそれに関わるものへの愛に拡がる。

ジニアス…私が今、最も大切だと思うのが“世界愛”だ」

「世界…愛…?」

「そうだ。
この世は愛に満たされている。

この世界全てを包む愛、それこそが“真実の愛”に他ならないと思っているんだ…

ジニアス…君は今、君の持つ電動ドライバーに愛を今感じるかい?」

「この電動ドライバーですか?」

「そう…それは昔、誰かが新しい何かを作る為に開発をして、我々はその恩恵を授かっている。

それは我々に対する大いなる愛だ。

この地面もそうだ。

誰かがコンクリートを開発して、それが歩きやすい地面、作業しやすい地面を提供してくれている。

もっと言えばこの大地はどうだ。

陽の光、心地よい風、広大な海、その全ての自然は我々に大いなる恩恵という愛を与えてくれる。

とどのつまり、我々も自然の大いなる愛の一部なんだ。

エゴから生ずる愛は限定的だジニアス…

自然に生きて、大いなる愛を知り、それを体感し、我々は生きている。

大自然の中の大潮流の中に我々はいる。

博士が母さんを愛する気持ちは、博士のエゴイズムに過ぎないかも知れない。

しかし、我々はそれすらも愛の一部として受け入れるべきなんだ。

博士には博士の人生があり、今までたくさんの愛に貢献してきた。

ならば…我々はそれを受け入れて生きていくべきだと思わないか?

博士の理論がなければ、我々はここまで到達出来なかったんだ。

ジニアス…君にはそれをわかってもらいたいんだ」

「…

…お義父さん
…言っていることはわかります…ただ、今の僕には納得出来ません…」

「うん…そうだな…

それでいいんだジニアス…さっきは怒鳴ってごめんよ。

…ただ、私がそう思っていることを知って欲しかったんだ…」

「お義父さん…」

パパ…

パパの言っていること、私わかるよ…

小さい頃からなんとなく思っていた。

なんでみんな人を傷付けるんだろうって。

なんで周りに居てくれる人を傷付けるんだろうって。

子供も
大人も。

“在ること”が当たり前になっているから、その存在に感謝出来なくなってしまう。

“有難い”とは在ることが難しいことなのに、今は“有安い”世の中になってしまったからかも知れない。

息を吸うことは当たり前のことで、毎日空気に感謝している人は少ないと思う。

水に溺れて死にそうになった人は、本当の空気の有難さを知っているかも知れない。

ジニアスが言ってくれる“真実の愛”である私がいなくなれば、より大きな愛に気付けるかも知れない。

ただ人はそれを望まない。

今ある人生の枠を飛び出して、苦労をしてまでそれを得ることはしない。

それには心身の苦痛を伴うからだと思う。

人間はいかに苦痛を取り除き、快楽を追い求めていくかの生き物だから。

きっと、その中で人は、その苦楽の中に人は、“生きる”という行為に意味を見出だすのだろう。

思い通りにならないから、思い通りにするべく努力をする。

そうして世の中は成長発展してきた。

もし世の中の全ての欲求が叶えられたその次には、何が生まれるんだろう。

私は“真実の愛”に気付くことだと思う。

パパの言った、“愛の段階”を人間の個々が昇る時に、本当の意味で“満たされる”という感情を知ることが出来るのだと思う。

私は…
私は常に満たされなかった。

ただ、パパとママの幸せに過ごした記憶だけを頼りにここまで生きてきた。

小さな頃から人の気持ちを、私の思う幸せを、たくさん考えてきた。

私はただ幸せに過ごしたいだけだった。

パパと、ママと一緒に…

「…ジニアス…」

「…なんだいアイハ…」

「あなたが満たされてきたばかりの人生を歩んできたとは私、思わない。

シィエお姉さんを見てもかごの中の鳥のように生きているように思える。

あなた達の一族の特殊さがあなた達を世間ずれさせている。

それが家族にこだわるあなたの気持ちの根底にあるのかも知れない。

おじいちゃんは完璧な人間じゃない。

おじいちゃんはおばあちゃんの為だけに生きているの。

私ね、思うんだ。

“子供が大人になったのが大人なんだ”って。

だからね、出来ないことがあってもいいじゃない。

ようはおじいちゃんの代わりがいればいいんでしょう?

なら私がおじいちゃんの代わりになる。

おばあちゃんはおじいちゃんに任せて、私がおじいちゃんのポジションに座るよ。

それなら問題はない?」

「簡単に言うけどアイハ…おじいちゃんの代わりなんて務まるはずがないだろう!」

「…いや…いいかも知れないな…」

「お義父さん!」

「アイハ…出来るか…?コンピューター言語を一から覚えることから始まるけど、それはアラビア語を一から覚えるようなものだぞ」

「世界一難しいと言われる日本語をネイティブ並に喋れる私よ?今更コンピューター言語なんて訳ないわ」

「…お義父さん…僕はアイハには無理だと思います…

アイハ…気持ちはわかるけど、全く別の話だ。

博士の知識や経験をそのまま君が出来るはずないだろう?」

「でも私には若さがあるわ!」

「アイハ…勢いだけで生きていけたら誰も苦労しないよ…」

「まぁジニアス、そう言うな。今は猫の手でも借りたいくらいだろう?

ただアイハ、仕事の片手間に中途半端にする位ならいない方がいいのは確かだ。

今の仕事を抜けられるのか?

逆に今の仕事が中途半端になるならパパも許さないぞ。

アイハの助けを得て生きている人が一人でもいるなら、そっちを優先すべきだ」

「う…ん、そうだね、施設長に相談してみる」

「そうだね、それがいい。ただアイハ、悪いがパパは現実的にそこまでアイハに期待している訳ではない。だから無理なら無理だと言って大丈夫だからね。

パパはパパで他の方法を探す。

ジニアス、君の力は本当に頼りにしている。私が逆に今こう言えるのも君のお陰なんだ。

君が来てから開発は飛躍的に進んだ。

だから私が考えていた進捗よりまだ余裕はある。

君は君の仕事に邁進してくれている。本来のペースがこの程度なんだ。

言うなれば周りが君について行けていない状態だ。

だからジニアス。

まだ焦る時期じゃない。
大丈夫だ。

今は君の仕事をそのままで取り組んで欲しい。

…本当に感謝しているんだ。

有難うジニアス」

「お義父さん…」

パパがジニアスを誉めるところなんて見たことがなかった。

ジニアスは少し柔和な表情を見せながらも難しい顔をしていた。

「さぁ今日はここまでにしよう!アイハ、今日のごはんはなんだい?」

「今日はジニアスの好きなエビフライだよ」

「おぉ!」
ジニアスの表情が明るくなった。

…パパ

パパの言うことは最もだ。

今の仕事をないがしろに出来ない。

明日、施設長とおじいちゃんに相談してみよう。

そうしてその日は家に帰った。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
スポンサーリンク