第205話 《アイハ》55

パパ達の仕事は最終調整に入っていた。

発生の可能性のあるイレギュラーのシュミレーションを基に、システムの細かなすり合わせを何度も行い、完成に近付きつつあった。

ブシおじいちゃんがこっちに来てから、マシンの構築は飛躍的に進んだ。

ミリ単位の誤差も許さないブシおじいちゃんは、最初マシンを見た時に、一からやり直すように言い放った。
当然ジニアスは反発したけれども、パパはそれに従い、外装は一から作り直すこととなった。

そこには匠の技術が惜しまなく敷き詰められ、ただの機械の塊だったマシンの外装は、私から見ても美しく、一つの生き物のような外観に収まった。

白を基調にした卵型のマシンは、きれいな流線型を描き、冷たいはずの表装に温かさを感じさせた。

最初は渋々従っていたジニアスも、狂いの許さない卓越されたスピーディーな仕事が、電送系の機類がいつもよりもスムーズに作動されたことを感じると、貪るようにその技術を盗み、身に付けていった。

「ブシおじいさんとラブイズさんはやっぱりスゴいよ!」

事あるごとにジニアスは二人をリスペクトしていた。

また、新しくシステム維持に参入したタローさんとジローさん。
どこかの漫画に出てきそうな長身やせっぽっちと岩のような身体のデコボココンビは、最初は何かある度にパパを呼び出して、パパの仕事が遅れが生じていたけれども、3ヶ月を過ぎる頃には、テムズさんも舌を巻く程の細かなサポートを実現させた。

彼らは現実の厳しさというものを身に染みて体感しており、機械に頼るということは無かった。

機械はあくまでも道具であり、自分達の目で見たものだけを信じることを信条としていた。

一度、マシンのテスト起動で大学中に停電騒ぎがあったことがあった。

ママのシステム維持には予備電力がいくつか装備されている為、大事には至らなかったけれども、モニターでママの顔を見たタローさんとジローさんが、いつもとママの様子が違うと言い出した。

その場にいた私も、確かにそう言われれば違和感がある程度だったけれども、特には気が付かなかった。

タローさんとジローさんが辺りをよくよく調べると、停電の喧騒の中たった一つ、排気口の切り替えシステムがショートしており、その小さな排気口が機能していないのが見つかった。

ママのマシンのそばに行くには、完全防塵服を着込まなくてはならない為にそばに居ても空調には気が付きづらい。

また、機類のモニターには変化が無いので機械からは判断が出来ない。

“生きた人間の状態を観る”という介護の基本を彼らは体感して会得していた。

彼らにして見れば当たり前の出来事だったけれども、テムズさんには大きな衝撃だったようだった。

その後、テムズさんは感情で涙することは徐々に少なくなっていった。

泣いて感情をコントロールするよりも、その一瞬一瞬をただ懸命に生きるタローさんとジローさんの姿に何かを得たように感じた。

一度タローさんとジローさんに何でパパの言いなりになっているのか聞いたことがあった。
「あの人はスゲーよ!俺、あの人みたいになりてーんだ!」とタローさんは目を少年のようにキラキラさせながら言っていた。
ジローさんの方は、「あの人の役に立ちてぇ」と目を潤ませながら言っていた。
答えにはなっていなかったけれども、二人とも何かしらパパを尊敬しているようだった。

パパは画期的なシステムの構築に取り組んでいた。

それは全く新しい人工知能の取り組みで、既存のAIの根本から違うものだった。

ナノマシン一つ一つを細胞の一つと見立て、互いにパルスを相互交換しながら記憶を構築し、重なりあったそれぞれのナノマシンは一つの個体として集約していく。有機物である身体を無機物で構築していくというものだった。

インターネットクラッシュの前に、脳と遺伝子のシステムはかなり世間的に解明されていた為、癌という病気は風邪を治すように無痛で治療する技術は既にあった。

不良細胞である癌に至る原因は生活習慣によるもので、その環境を整えることが周知されてはいた。

パパはそこから、テムズさんの手足に施された技術を応用して、不良細胞自体が発生しないナノマシンシステムを向上させ、その技術を確立するようにしていた。

おじいちゃんはあの後急速に認知症が進み、今ではおばあちゃんと一緒に施設に暮らしている。

仲睦まじい二人の姿を見た新しい利用者さんはみんな夫婦だと思っているようだった。

私はそんなみんなのお世話をしながら暮らしている。

二年前のあの時、パパが言ったキャロラインさんに対する言葉の意味が、最近少しずつわかるような気がする。

人には人それぞれの人生があり、全ての人にはそれぞれの正義がある。

前にパパが“お互いの正義がぶつかるから争いが起きるんだ”と言った。

私には理解出来なくても、また相手には理解出来なくても、人には人それぞれの思いや想いがある。
それを“自分が傷付けられた”と思うのではなく、“相手の正義に反したんだな”と理解を示すことが大切なんだと今は思う。

パパが言う“思考の方向性が人生を決める”とはそういうことなんじゃないかなと、今は朧気ながらそう思っている。

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