第206話 《アイハ》56

「もう…そろそろいいか…」

パパはそう呟くと椅子に深く腰を掛けて一息深い溜め息をついた。

温かい淹れたてのコーヒーを用意すると「ありがとう…」と一言パパが言った。

「お疲れ様。たいぶ区切りはついたの?」

「あぁ…とりあえずは“完成”だ」

「完成?パパの仕事が?」

「あぁ…」

「それってつまり…」

「全てのプロジェクトの完了だ。まだ時間まではギリギリ調整は必要だが…」

「パパ…やったね…」

「あぁ…ありがとうアイハ…君のお陰だよ」

「うぅん…パパ…お疲れ様…」

そう言ってパパに抱き付いた。

パパは私の頭を優しく撫でながら「キキョウ…」と呟いた。

…そうして遂にマシンは完成した。

厳密に言えば未完の状態だけれども、かなり細部の部分まで詰めたところまで持っていっていたので、これ以上の改良は時間的にも難しいとのことだった。

ささやかな慰労会を兼ねてケンおじいちゃんのお屋敷で皆でお食事をした。

パパ、おじいちゃん、おばあちゃん、ジニアス、ブシおじいちゃん、ケンおじいちゃん、シィエお姉さん、ジニアスママ、テムズさん、タローさん、ジローさん。

皆が代わる代わる来館して、まるで親戚一同が集まるような様子だった。

パパは全員一人一人に労いの声を掛けて回っていた。

ブシおじいちゃんはケンおじいちゃんと何か合い通じるものがあったのか、二人で盃をもくもくと交わしていた。

おじいちゃんはにこにことおばあちゃんの手を繋ぎながら車イスに座っていた。

おばあちゃんは相変わらず無表情だったけれども、心なしかにこやかな表情に感じた。

ジニアスはジニアスママに捕まり、執拗に孫の催促されている。

テムズさんは端っこでタローさんとジローさんと談笑していた。

お手洗いから戻る途中、シィエお姉さんが窓から外を眺めていた。

「シィエお姉さん!」

「あ…アイハちゃん。みんなのお世話、大変だったでしょう。お疲れ様」

「シィエお姉さんやみんなのおかげです。こちらこそ本当にありがとうございます」

「ふふ…アイハちゃんはいつも礼儀正しいよね。私は特に何もしていないから…」

「そんな事ないです!シィエお姉さんが居てくれたから、私、たくさん頑張れました。いつもいつも励ましてくれて…」

「そうかぁ…私も少しはお役に立てたかしら?」

「ええ!とっても!」

「アイハちゃん…これからまた…ううん…ラブイズさんが決めたことだものね…」

「あ……はい…ただ…心配じゃないといえば嘘になります…
でも…でもきっとパパなら…
パパならきっとママを救い出してくれるから…

私は待ってます。
また一緒に家族で暮らすことが出来るように…
あの家を守っていきます」

「…そう…そうね。アイハちゃん、いつでも遊びにいらしてね。私、アイハちゃんが来てくれると嬉しいんだ」

「はい“もう来ないで!”っていうくらい遊びに来ますね!」

「ふふふ…ありがとう。でもアイハちゃんももう立派なレディだよね。いつ本当のお姉さんになれるのかしら?」

「いやぁ、シィエお姉さんまで~!」

「ふふふ、ごめんなさい。だけど初めて会った時はまだ16歳だったからね。早いなぁ…」

「16歳でしたね!怖いもの知らずでした~」

「そうそう!あの時ね!…」
そう言って初めて会った時の昔話に花が咲いた。

…あれから実に6年もの歳月が過ぎていた。

私は22歳になっていた。

一時の賑わいが終わり、久しぶりに飲み潰れたブシおじいちゃんをジニアスに任せ、私はパパと二人で家に帰った。

家に着いてソファに腰を下ろしてフゥと一息ついていると、パパは私に「話があるんだ」と切り出した。

「あ、うん、なぁにパパ?」

「ママのことなんだけど…」

「うん…」

「ママがマシンに入ってから6年が経過した。おそらくママの記憶から推測するに、今ママは一番辛い最中にいるはずだと思う」

「そう…なんだ…」

「ママは今また、記憶の中で一人ぼっちになっている。早急にパパはママを助けに行くことにしたいと思う。アイハ…これを君に渡しておく」

そういうとパパは一冊の日記帳を差し出してきた。

「これはママの記憶、ママの日記帳だ…もし、私に何かがあったとしたら…アイハ…君はジニアスと一緒になって幸せに暮らして欲しい」

パパはそう言うと、ママの日記帳を私に手渡した。

「パパ…」

「さぁ今日はもう遅くなったら寝ようか」

そうしてパパは自分のベッドで倒れ込むように寝てしまった。

パパから手渡されたママの記憶…

誰もいないリビングで、その日記を開いた。

そこにはママの壮絶な人生の思いが散りばめられていた。

生きるということ。
この世に存在するということ。
人の温もり
人の冷たさ
エゴなのか
利他なのか
悲しみや苦しみ
喜びや痛み
あちこちの文章の欠片から心に突き刺さってきた。

今改めてママの気持ちがわかる。

人を愛するということ。
人に憎まれるということ。

その全てを愛で包括すること。

そしてその想いすら、自らが産んだエゴであるということ。

その全てを利他で生きるにはこの世界では難しく感じること。

人の想いは儚く、ただそれを知った想いはまた新しい利他へ結ばれ、紡がれていく。

それが人として生を受けたものの定めなのかも知れない。

一晩中、ママの想いを、ママの気持ちを、噛み締めるように読んだ。

何度も
何度も。

窓の外がうっすらと白み掛かった頃、私はパパの気持ちがわかったような気がした。

パパはもうすぐ、マシンに入るんだ。

そう思った。

私は…
私は二人の子供だから…

それを最後まで見届けよう。

まぎれもなく二人の愛の証である私が、パパとママの行方を見届けよう。

そう心に誓った。

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