第二章  《ラブイズ(32)》 -覚醒-

ギギギギギギ…
ゴゴゴゴゴゴ…

ギュインギュインギュインギュインギュイン…

…工事…でも…始まったか…
…なんだか…気だるい…

…身体が…重…くて…全く…動か…ない…

…目も…開か…ない…な…

…頭は…変に…重…だるい…

…なん…とも…不思議…気持ち…悪い…

…感じ…

…おそ…らく…目の前…明る…い様子…

…何…が…何…だか…全く…わか…らない…

…昨日…浴びるほど…飲んだ…酒…のせい…だろうか…

…キキョウが…何か…した…のか…?

…アイハ…

…アイハは…いる…のか…

…アイ…ハ…

…キ…キョウ…

――――――――――――――――――――――――――――――――――

……

………

……………

…どうやら…しばらく寝ていたようだ…

…なんだ…

…身体が…動かない…

…酷く…気持ちが悪い…
………

…喉が…

…喉が…渇いて…いる…

…水…

…み…ず…

…あ…

…冷…たい…

気…持ち…いい…

…キ…キョウ…
…アイ…ハ…

…すまな…かった…
…すまな…かった…

…声…出な…い…

「ラブイズ…」

…キ…キョウ…?

「愛してるわラブイズ…」

…キ…キョ…ウ…

…キ…キョウの…香り…

…わ…たし…が…わる…かっ…た…


――――――――――――――――――――――――――――――――――
……

………

……………

……………………

…また…ここか…

…今日は…

…幾分か…
調子が良い…

…何やら…
病院…?に…いるようだ…

…目は…開か…ない…
…声も…出せ…ない…

ただ時折…医師…らしき…人が…
私を…呼ぶ…

たまに…
キキョウ…
や…
アイハ…
の声が…
聞こえ…る…

一体…
…なんなのだ…

…ひどく…まぶしい…時や…

…頭…どう…も…すっ…きり…し…ない…

…ああ…

…疲れた…

………

…………

………………

………………………

――――――――――――――――――――――――――――――――――

…だいぶ…状況が飲み込めてきた…

…私は…

…何かに…あったらしい…

…時折…キキョウや…アイハが…話し掛けてくれる…

…他愛ない…話だ…

…ただ…酷くだるいんだ…

何も…頭に…入ら…ない…

…キキョウ…
…アイハ…

君達の…

声…は…

とて…も…

安…心…す…る…

あ…たた…かい…

とて…も…

あたた…かい…

…そばに…

いつ…まで…も…

…そば…に…

…い…て…ほし…い…

…いつ…まで…も…

――――――――――――――――――――――――――――――――――

ようやく…目が開くようになった…

ただ身体は動かない…

頭は相変わらず靄がかかったようだ…

…暗闇のようだが…

…なんだか機械音がする…

ーガチャリ

「ようやく目が覚めたかいラブイズ」

…誰か…話し掛けてきた…

『パチン』

…明るい…

…誰だ…?

「私がわかるかい?ラブイズ」

…あれは…
…サイトウ医師…?

…ああ…

…そうか…

帰って来たんだな…サイトウ…

「グッド。その目は気付いたようだな。
話を整理しよう。一方的に話し掛けていくけどいいかな?」

私は意図的に一回まばたきをした。

「グッド。まず現在の君の状態だが、丁度7日前に君の奥さんと同じ状況までになった。
そこでマシンを解除し、ナノマシンの回収をした。

ナノマシンは無事回収を終了し、今は人工知能へ解析に回している。
先程ようやく一つ見付けたところだ。
『from ラブイズ』をね。
それでグッドニュースを知らせようと君のモニターを見たら覚醒サインが出ていたから大急ぎでやって来たんだ!

君の癖である『from ラブイズ』の信号を探すまでに時間がかかったが、これからはスムーズに進むだろう。
君程自分を熟知した者はいないよラブイズ。

ところでラブイズ、
“愛”とは…何かわかったかい?」

私はただ、一方的に話をするサイトウを見詰めた。

「…まぁ焦ることはないさ!また二人で研究の再開だ!
早く回復しろ!まずは祝杯といこう!

じゃあなラブイズ。まずはゆっくり休むんだ。また来るよ。」

サイトウはそういうと電気を消して出ていった。

サイトウ…

年こそは二回り程違うが、私が間違いなく親友と呼べるただ一人の人間だ。

インターナショナル・シンキング・トゥ・ザ・フューチャー・ラボラトリー
通称If研究所と呼ばれるこの施設は大学の一角にあり、私はここでチーフのサイトウと共に研究所の職員として働いていた。

“未来への思考”とは思考の方向性が未来を示すことを現しており、私は自ら志願して、この最新マシンに搭乗することにした。

浸透圧を統一した2つのプールは8の字のような形をしており、頭蓋骨に7つ穴を開けた状態で浸水をする。

上のプールには擬似脳髄液を、下のプールには擬似体液で満たし、そこに極小のナノマシンを放つ、ナノマシンは各マシンごとに、『ハート』『レバー』等の名称が付けられており、それぞれが全身に配備される。

各マシンがホルモンや酵素として働き、生命維持の為に活用される。

その中でもサイトウが開発した『ブレイン』は最高傑作だった。

脳内のシナプスによる電気信号を完璧に再現出来るナノマシンで、予め人工知能でインプットした電気信号を脳内で各配置に基づいた発信をすることにより、入力した記憶をそのまま再現することが出来る。

そして、そこで脳内が体験した電気信号をまた人工知能で解析することにより、その人が何を考え、どう思ったかをコンピューター上で再現出来るというものだった。

…全ては私の脳内で起こった出来事だ。

現実では…

私がキキョウに行ったことだ…

キキョウは最初の入院で回復した。

診断は『育児ノイローゼ』だった。

しかしその時、キキョウの相談していた外国人女性保護団体を通じて、私に対してカウンセリングが求められた。

私に原因があると言うのだ。

キキョウの入院施設の医師にカウンセリングをお願いすると、最初に付けられた診断名は『神経症』だった。
家族を必死に養ってきた私に対して精神病のレッテルが貼られた。

医師は神経症が原因で妻に負担が掛かっていることを、何度も私に諭した。

私は認めなかった。
認めたくなかった。

認めなかった私は別の病院に行くことに決めた。そこで付いた診断が『PTSDによる境界性人格障害』だ。

私の母親はいわゆる“毒親”だった。
毒にしかならない親。
幼い頃、母親はしょっちゅう家に帰って来なかった。いろんな男が私の家に入りたびっていた。

私はそんな母が大嫌いだった。
その事が私にとって大きなトラウマとなり、知らず知らずのうちに、キキョウに対して『理想の母親像』を押し付ける原因となっていた。

しかし私はそれを認めたくなかった。

それからはあの世界で見た通りだ。

ほどなくしてキキョウは家族を支える為に職場に復帰し、私は自分というものを失望した。

家に引き籠るようになり、
回復のプログラムだと言って一人暮らしをし、
若い女性と夜遊びを繰り返し、
金が無くなると窃盗をした。
アイハが会いに来ても素っ気なく接し、
心が不安定になるとキキョウを罵り、殴り、叫び、自殺未遂を繰り返した。

あれは私のことだった。

そして私は本当に一人にならなくてはいけないと思い、自らの思考を体験する為に被験体になることを志願した。

――――――――――――――――――――――――――――――――――

「パパー!起きたー?」

明くる朝、勢い良く戸を開けてアイハが駆け込んできた。

でかい!
アイハには間違いない。そう思った途端にアイハが胸に飛び込んできた。

抱き付いてくるアイハを抱き締めることは出来なかったが、アイハの匂いがそこにアイハが居ることを如実に物語っていた。
「あーパパの匂い久しぶり。」

胸から熱いものが込み上げてくる。喉の奥がきゅうっと締め付けられて、鼻の奥がつぅんと痺れた。そして目の前の光景が滲み、だんだんと見えなくなっていった。

熱い。
目の奥から熱い涙が止めどなく溢れ、流れた。
ふと何かの布が目を押し付ける。優しい匂いがした。いつも嗅いでいたあの優しい匂い…

キキョウ…

視界が開けるとそこにキキョウが現れた。あの時に居なくなった家族が現れた。当たり前のように、そこに居た。

私が…私が悪かった…!

キキョウは泣いているような、困ったような顔をしながら微笑んでいた。その顔を見ているとまた、だんだん涙で視界が歪んでいった。

「おかえりラブイズ…」

キキョウが私の手を取り、そう優しく呟いた。
優しく、温かい…
優しく優しく私の手の甲を何度も何度も撫でてくれた。その心地よさに触れながら、徐々に眠りに落ちていった…

温かい
温かい
温かい…

――――――――――――――――――――――――――――――――――

「どうだった久しぶりの家族との対面は!?あの二人は毎日来ていたんだけどな!」

サイトウがコーヒーを淹れながら話し掛けてくる。私が眠りに落ちてから、二人は程なく帰ったようだ。

鼻腔に微かなアイハの匂いと、手にはしっかりとキキョウの優しい温もりが残っている。それが淹れたてのコーヒーの香りにかき消されていく。

ガシッとがさつに、熊のような手で力強く私に握手をし、サイトウは「よく帰ってきたな!」と笑顔を見せた。

もう少し、アイハとキキョウに浸りたかった私は憮然と彼を見詰め直した。サイトウは意にも介さず話掛けてくる。私が親友と呼ぶこの彼は、ガサツなくせに繊細な技術を持っている不思議な男だ。デリカシーがないのは昔からだが、逆にそれがいつも私の心を励ましてくれた。それを言うと「お前は繊細過ぎる!」といつも説教を食らったものだ。

彼とは大学生の時からの付き合いになる。最初は講師と学生という関係だったが、私が研究員見習いで彼の研究室に入ってから、何かと目を掛けてもらい、そのうち妙にウマが合うというか、師弟を越えた親友となっていった。

仕事一筋だった私はサイトウと共同で『シンキング・トゥ・ザ・フューチャー・ナノマシン・システム(SFNS)』を構築した。

既に心理学では権威であったサイトウは『ナノマシンと人工知能の理論』を構築していた、それを応用し一歩進めて具現化したのが我々の造り上げたマシンだった。

サイトウが構築した理論は、シナプスが受け取る電気信号をナノマシンが受信し、それを人工知能にインプットすることで患者の思考をより深く知ることが出来るというもので、その為のコンピューターの構築は既に完成していた。

我々は更にもう一つ進み、解析したナノマシンの電気信号を元に被験者の脳に新たな信号を与え、記憶の疑似体験を行うものだった。ただそれには被験者の経験した記憶しか反映されないというネックがあった。

『ロボトミーの再来』と揶揄され、我々の計画は世間の避難を浴びたこと、更には直後、キキョウの育児ノイローゼから私は精神不安になった為、技術的なシステムの構築のほぼ全てを私が担っていたこともあり、この計画は半ば廃棄を余儀なくされていたのだ。

全てを失ったと絶望の淵にいた私に、サイトウは毎日会いに来てくれた。そして私はこのマシンの存在を思い出した。私はサイトウにこのマシンの最初の被験者を申しだした。

サイトウは言った。
「確かに目的はネガティブな思考の方向性を解析し、ポジティブな素晴らしい人生を歩んでもらう為の素晴らしいマシンだと私も思う。
しかし、エビデンス0のこのマシンは余りにも危険だ。もちろん私だって諦めている訳ではない。
まずはポジティブシンキングの被験者からエビデンスを集め、人工知能で解析した後…」

その瞬間、私は刹那的に目の前にあったカッターで自分の手首を切り裂いていた。

「何度も聞いた理論を今更説明を聞く余地は私には無いんだ。出来なければ死ぬしかない。」

次に首元にカッターの刃をあてた私を見て、サイトウは一言「わかった」と呟いた。

私には母がいた。

今はサイトウの好意で大学に併設されている大学病院の施設に入所している。

母は重度の精神障害者だ。

物心ついた時から母の奇行に辟易していた私は、逃げるように中学の頃から寮に入った。やがて奨学金を得て大学に進学したのだが、幼い頃から見ていた母の、その心理状態を理解したいと思うようになり、心理理工学を専攻した。私が母に最後に出来ること。そして、私が私として生きてきた証であるあのマシンを証明することしか、私の頭の中にはなかった。

時折サイトウは、心理セミナーやカウンセリングを勧めてきたが、そもそも講師としてその立場に居た私の心を満たす場とは思えなかった。

そして、いくつかのやり取りの後、サイトウは諦めたように、手術の同意書を差し出した。

「…今更だがラブイズ。法に従い君に説明させてもらうよ。
まずこの手術の同意が必要になる。

始めに穿頭術を行い、7つの穴を頭に開ける。これは脳内気圧を一定に保つ為と、ナノマシンの注入に用いる為だ。

穿頭された後、速やかにSFNSへ挿入。
脳内と体内へナノマシンを注入し、そして君の身体のデータを採取する。
この間が約4ヶ月を要する。
君の身体のメカニズムを理解する為の期間だ。

その後、安定期を見定めた上で副交感神経導入時に伴い、システムを発動、ナノマシンから電気信号が君の脳に送られていく。そしてそこで君にどう影響を及ぼすかは未知数だ。

ひょっとしたら永遠に夢の中をさ迷うことになるかも知れない。
永遠の悪夢だ。

ある意味、現実とは脳が見せている架空であるという定義が立証されるかもしれないがね。
覚醒出来たとしても君の身体にどういう影響を及ぼすかわからない。
それでも…いいんだな?」

私は憮然と面倒臭そうにサイン欄に自分の名前を殴り書きした。

「グッド。
それでは君が望む世界を改めて聞くが、発病してからの君とキキョウの立場を入れ替えた世界、そこで君はキキョウと同じ経験をしたい。
そこまでは聞いているが…ラブイズ…
本当に…いいのか…?」

「…何でもいいから早くしろッ!!イライラして…頭がキレてしまいそうだ…ッ!!」

「…グッド。
人類の進歩に感謝する。
ただ君が知っている通り、君と同じくらい酷くデリケートなマシンなんだ。どちらにしても傷が治らない限りは入ることが出来ない。
だから君も自分の身体をデリケートに扱えよ我が親友よ」

そう言うとサイトウは席を立ち目を伏せがち部屋を出た。

…さっきから視点が定まらない。

この研究所の匂い
白を基調にした部屋
無機質な雰囲気

いや、世の中の全てが私の中の台風を加速させていた。

ポケットにあった精神安定剤を無造作に放り込むと目の前にあったぬるいコーヒーで一気に流し込む。しばらくは身体が震えて落ち着かなかったが、ややすると気持ちがすぅっと冷めていった。

「抗ストレスホルモンは通常より多目に設定してもらうか…」
頭で考えていたことをふいに口にしていた自分に気付き、なんだかおかしくなった。

ククク…と笑いが込み上げる。頭の中ではわかっているつもりだ。神経すらを科学薬品でコントロールしている自分が、時折自分の身体ではないように感じていた。

「サイトウ…もう…マシンの中にいるようなんだよ私は…」

そう呟いて研究所を後にした。

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